最近、動物霊が騒ぎ出していることが多くなりました。

ただ単に死んだ動物から、「ここで死んだんだ」「人に殺されて埋められた」の交信は日常茶飯事で行く場所々で救いを求められることはあり、これは珍しいわけではありません。

また、人の持つ魂の中に動物の魂がある場合、人間の生活に疲れて、「こんな身体から早く出たい」という感じで、その身から浄化を求められる場合もありますが、今回の話題はこのことではありません。

今回の内容で話します動物霊は、人に憑いたり、引き寄せることで霊力を増そうとする仕業をしていることについてです。

その昔、ある山には霊力が宿り、その山に住む動物種が特別な力を発揮することがありました。
山に修行に入った人間がそのことに気付き、自分にもその力が宿らないかとその山で修行をしましたが、なかなか宿らずにいましたところ、山に暮らす動物に目をつけ、動物の暮らしをしました。
やがて、動物に憑く死んだ動物の霊からその人間は目をつけられ、ついには動物霊がその人間にとり憑き、身体に生きた小動物まで入れ物に入れて懐に忍び込ませて飼い始めました。
人間的には懐に入れた動物から霊力を授かっていると思っていたようですが、実際にはその人間に憑いた動物霊がその人間を扱うようになっていました。

これは私が相手をした動物霊から聞いた話です。
その動物霊は完全浄化をして、改心のような姿・気持ちになったため、この全貌を解いて話すことになりました。

話を戻しますが、やがてその山は神聖化されて霊山と称し、その時代には多くの修行者がその山に入り、生活をしたようです。
山で生活をすることで、自分たちにも山の力・霊力が授かると思ったのです。
霊山







しかし、山で暮らす動物種の霊がとり憑くことで様々な現象を見たり体験することになりました。

霊力が増したと思う人たちが多く現れ、その御山は信仰の場所となり、一宗教として発展しました。
また多くの信者も獲得しました。
これにはからくりがあり、それはその御山の動物霊たちが里の村々に飛んだり、御山に訪れる人たちにとり憑いては具合を良くさせて、御山に入れば神徳を得れるという流れを作ったようなのです。

しかし、時代が変わり、人々は山に訪れないようになって行きました。
信仰への対象が病院へと移り、霊力というものが次第に人々から遠ざかっていったのです。

それでも動物霊たちは人々を扱うことに興味をなくしてはいませんでした。

長い年月をかけて今度はかつて聖地とされた場所を掘り起こすパワースポットのブームがやってきました。
御山で待つ動物霊たちは喜びました。
再び、自分たちの力を発揮する時代がやってきたのです。

「力がほしい」「特に霊力のような神秘的な力を身に付けたい」
このような思いの人間に御山から誘い込む電波を発したり、里(今は町です)に放たれた動物霊たちがそのような素質の人間を見つけては興味をひかせることを色々と行い、やがてはその御山に近づかせる機会を企てました。
動物霊









世の中には、霊力を持ちたい、使いたいと思う人が沢山います。
霊魂に否定的な思いをする人は多いのですが、そのような人の中にも実はそのように思う方はいます。

「特別視されたい」
「人と違ったことをしたい」
など、こういう思いも利用しながら、動物霊たちは人間の気持ちや思考を巧みに使って、時間をかけながら、頭の中であやしくない思いにまで転化させて、御山に対する魅力を増やすのです。

このようなことは、実は御山だけに限らず、あちこちのパワースポットでも起きています。

こわいのは現地の動物霊だけではなく、動物霊にとり憑かれてその場所で亡くなった修行者(呪術者など)や力に魅せられ集まった霊能者(スピリチュアルリーダーなど)のような人たちの霊から「ここに集まれー!ここはすごいぞ!」と言わんばかりの想いの波動を向けられて、その波動に誘われて近付いていくことです。

ここはすごい。パワーがみなぎっている。
という場所は、呼び込みたいものたちが霊や魂として居て、気持ちを一時的に良くしたり、「ここは最高だよー」の気持ちにさせられている場合があるのです。

しかし、これは最終的に現地の霊や魂から扱われることを意味して、人間が本来行うべく姿とは離されてしまうことがあるようです。

人は精神性の部分で向上を義務化されているような運命にあります。
必然と学ぶことが沢山出ているのですが、動物霊や他の欲深い霊から捕まると次第に精神性というものから離れてどんどんとこの世にしがみつく(物への執着)ことが大きくなります。

時代をさかのぼり、古来に行なっていたことを現代で同じように行おうとする人もいます。
現地・古来の魂や霊の波動を受けて、感化されて、その気持ちに同調して同じく気持ち良くなってしまっている状態です。
まさに「これしかない」という感覚だと思うのですが、時代は新しいほうへ流れていき、古来の仕方を応用はあっても、それを復活させることは宇宙の原理からいってそれはおかしな問題になってくるようです。

動物霊たちは宇宙の原理はわかっていません。
ただこの暮らしをしたいだけなのです。
ですから、人を扱い、自分たちのできることで今を楽しめることを重視します。
現代の人からすると、今を楽しむということはとても魅力的なワードになるのですが、注意も必要ということだと思います。